今回は1990年代を学生で過ごした私が、どのような環境を経てプログラマーになったか、過去の印象的な出来事を思い出しながら書いてみました。
高校生の頃のPC、パソコン通信、インターネットやエロゲーとの出会い、大学でのプログラミング環境や人との出会いなど、懐かしみながら書きました。
ぜひ気軽に読んでいただけるとありがたいです。
目次
高校時代
パソコンとの出会い
高校一年生の頃に親から中古のMacintoshを買ってもらった。これがすべての始まり。
当時はMacOSではなく、漢字Talkという日本版MacOSみたいなものを使っていて、買ってもらった当初は不正コピーのゲームか何かをやっていた記憶があるが、徐々にパソコン自体を触ってるだけで楽しいことに気付き始める。
インターネットは当然無かったが、プリインストールされてるソフトやゲームを弄るだけでも楽しめた。
インストールという言葉の意味がしばらく分からず、MacFan か何かの雑誌で意味が分かったときは嬉しかったのを覚えている。
MacFanって30年前からあったのか!
その後、Windows95勢の友人にMacintoshであることを煽られながらも、高校3年まではMac派で過ごすことになる。
その友人Nくんは私を自宅に招いてはWindowsのエロゲー(不正コピー)をさせ、Macでは出来ねーだろなどと散々煽っておりました(笑
パソコン通信
高1の終わりか、高2の頃に NIFTY-Serve でパソコン通信を始めた。
パソコン通信とはテーマごとの掲示板みたいなものがあって、そこで主にテキストのコミュニケーションを楽しむものだ。
これは当時本当に楽しくて、高校生ながら遠く離れた人とメールみたいなものでメッセージのやり取りをしていた。
25才くらいの女性と話しているといったら、前述のNくんがすごい羨ましがっていたのを覚えている。(Nくんはパソコン通信やってなかった)
Nくんがバストサイズを聞きたいというから、メールで送ってみたら確か教えてくれたけど、程なくしてやり取りが終わった気がする(笑
・・・
インターネット
高3の頃にnifty-serveがインターネットプロバイダーを始めたので、その機にインターネットを始めた。
そして、念願のWindowsマシンを手に入れていた。(NEC PC-9821で当時30万円はしていたと思う。よく買ってくれたものだ)
当時はブラウザが有料で、Netscape Navigator というブラウザを4,000円くらい出して買った記憶がある。
田舎で市内にプロバイダの基地局がなかったため、仕方なく市外局番の基地局に電話をかけて接続していた。
接続時間に応じてお金がかかるので通信料が高く、接続したらできるだけ早くネットを回ってダウンロードしておき、回線を切ってからゆっくり読むみたいな使い方をしていた。
ローカルにHPを丸ごとダウンロードして保存するだけのソフトもありましたね
物理のレポートにインターネットで調べて作った資料を持っていったら、この学校でインターネットを使ってレポートを出してきたのは初めてだと言われた。そんな時代でした。
大学時代
C言語の授業
情報系の学部のある私立大学に入学した。
その学校では一年生からC言語の授業があり、コンピュータ室には沢山の UNIX + X Window system の端末が並んでいた。
その端末で gnu gcc を使ってC言語の授業が行われていた。
UNIX系のOSに触れることが出来たのは、今思えば結構幸運なことだったかも知れない。
その授業で4人一組のグループを作ることになり、なぜか私以外の3人が全員女性だった。
授業の内容を比較的早く理解できていた私は、グループの女子達から分からないことを質問されていて、それに得意げに答えるのが嬉しかったのを覚えている。
グループにはKさん、Dさん、Gさんが居て、KさんDさんが美人だった記憶がありますが、Gさんが一番気が合う感じで好きでした
・・・その情報いる?
プログラミングの授業の内容は、main()関数の中で scanfで入力した文字を printfで出力するとか、その程度のプログラムだった気がします。
その程度だったとはいえ、最初の頃はプログラムの意味が全く分からなかったし、周りの人達は私よりもっと分かってなかった気がする。
ここでの授業の経験がプログラミング自体に良いイメージを持つきっかけになったのかも知れない。
そしてこの時に将来の仕事が決まったのかも知れない。
ちなみに、この頃は麻雀にハマっていて、友人と二人でフリー雀荘に行っては、雀荘のメンバーに5,000円をあげて帰る生活をしていました(笑
大学二~三年生
授業
論理回路やアルゴリズムとデータ構造などの授業が始まる。
マイコンを使ったアセンブラでのプログラミングの授業もあったが、なぜか結構得意だった。
アセンブラを教えていた高齢の先生はなぜかやたらと女性だけに厳しい、私語をしていただけでものすごい勢いで怒鳴っていた。
女性関連で過去に何かあったのだろうか
研究室
ある助教授の研究室に所属することになったが、その先生はあまり人気はなかった。けど、私はすごく好きな先生でした。
授業など真面目に教える感じではなく、自分が話したいことを話していたのが個人的には面白く感じ、この人の研究室に行きたいと思った。
どういうきっかけか、研究室でツイストペアケーブルを自作したことを覚えている。(単に作業を手伝わされていただけな気がするが)
その先生は、女性の局部を全国各地の方言でなんて呼ぶかをまとめたノートを無くしたと言っていたなぁ
ネットでの交流
プライベートでもネットで知り合った東京や北海道の知人とプログラミングについて情報提供しあったり、教えてもらったりする機会があって、自然と学習できる環境があった気がする。
C++のコンソールアプリでコンピュータ相手にポーカーをするプログラムを組んだりして、ソースコードを見てもらったりしていた。
コンパイラは、おそらくBorland C++ Builderだったと思う。(無料だった)
ネットの知人に比べれば、自分は初心者だと思っていた
エディタは何を使っていたか思い出せない。
Visual StudioやVSCodeみたいなものはなかったし、秀丸はシェアウェアだから使ってないと思う。
Sakuraエディタを知ったのは会社に入ってからなのでこれも違います。
資格試験
ネットの知人の勧めもあって第二種情報処理技術者試験(今の基本情報技術者試験)を受け、2回目で合格した。
大学生ぐらいで合格するのは特別すごいという訳ではない。
ちなみに、この頃は格闘ゲームにハマっていて、朝の4時ぐらいに家に帰ってくることがしょっちゅうあったので、あまり真面目に勉強はしてなかったと思います(笑
卒業時の実力
平凡
コンピューターサイエンスの知識は学校の授業でそれなりに得られたものの、実践的なサービスやアプリを作った経験もなく、初心者に毛が生えた程度の実力しかなかったと思う。
周りの学生に比べれば、比較的プログラミングは得意な方だったと思うが、学校で習ったもの+α程度の知識しかなかった。
しかし、4年間コンピューターサイエンスの基礎をゆっくり学べたのは、後々のエンジニア人生に何かとプラスになっていたのではないかと思います。
文系大学出身のエンジニアに比べて理系大学出身者のアドバンテージになっている部分かも知れない。
プログラミング言語
一度でも触ったことがある言語は、C/C++、アセンブラ、Pascal、Javaぐらいですかね。
C言語やC++で低水準言語に慣れ親しんでいた経験は、会社に入ってからも役に立つことが多かったように思う。
メモリ上でどのようにプログラムが配置され動いているかを理解していることは、今でも役に立っている知識の一つです。
就活
就職氷河期世代だったのですが、運良く数社程度の面接で終わった気がします。
今思えば圧迫面接気味なものが多かったですね(笑
そして、社会人の自覚もないまま就職することになる・・
地方から東京へ行くことになったが、有名なゲーセンに行けるのでラッキーぐらいに思っていたかも知れない。
まぁ人生が楽しいのは良いことだ。